輸血部の歴史
【沿革】
| 昭和52(1977)年10月1日 | 新設。専任副部長(講師)として岡田浩佑着任 |
| 平成3(1991)年4月 | 岡田浩佑 准教授へ昇進 |
| 平成6(1994)年4月 | 専任副部長(講師)として高田 昇着任 |
| 平成9(1997)年4月 | 助教新設配置され、藤井輝久着任 |
| 平成10(1998)年4月 | 高田 昇 准教授へ昇進。専任部長となる |
| 平成20(2008)年4月 | 藤井輝久 講師へ昇格 |
| 平成22(2010)年4月 | 藤井輝久 准教授(専任部長)へ昇進。齋藤誠司助教着任 |
| 平成29(2017)年4月 | 山﨑尚也助教着任 現在に至る |
【歴代輸血部長(副部長)】

岡田 浩佑(1977~1994)
1977年10月、検査部から分かれる形で輸血部が新設され、その際専任副部長(講師)として、原医研血液内科から着任されました。全ての国立大学医学部附属病院に輸血部があった時代ではない、いわば“黎明期”に輸血部としての診療や研究の礎を確立される共に、“輸血医学”の教科書を他大学の先生と共に編纂されました。輸血医学における研究のテーマの一つは、“好中球抗原・抗体”であり、当時小児科や第二外科から出向してきた大学院生の研究テーマにもなりました。これは現在にも引き継がれており、他大学から検査・同定の依頼を受けています。また、検査技師や医師(現在の医科診療医)の増員にも尽力されました。さらに、ご自身は“がん化学療法”の研究をする傍ら、血液内科の外来で白血病やリンパ腫を中心とした診療をされました。
1994年退任されその後、新設された保健学科基礎看護学教授に就任されました。
【主催・招聘】
| 1984年 | 第16回国立大学附属病院輸血部会議 |
| 1985年 | 第30回日本輸血学会中四国例会 |

高田 昇(1994〜2010)
1994年4月、専任副部長(講師)として、原医研血液内科から着任されました。血液内科では、HIV感染症、血友病の診療に従事されました。薬害エイズ訴訟の和解に伴い、広島大学医学部附属病院はブロック拠点病院に指定されたことを契機に、「輸血部助手(現在の助教)の新設」「病院内にエイズ医療対策室の新設」が実現しました。その際、ご自身はエイズ医療対策室室長を兼任されました。学生教育にも尽力され、医学部医学科のみならず、歯学部、薬学部、保健学部看護学科等で、教鞭を執られました。医学実習では、インフォームドコンセントにおいて、カウンセリング技法やロールプレイなどの斬新な方法を導入され、これは現在の医学実習においても引き継がれています。
1997年迄は、専任ポストは「副部長」であり、部長は診療科長が持ち廻りとなっていましたが、1998年には名実共に専任「部長」となりました。
2010年3月定年を残して退任され、当時岡田浩佑先生が在籍していた広島文化学園大学の看護学教授に着任されました。しかし、その後もメーリングリスト通じた情報発信、広島県合同輸血療法委員会の立ち上げや委員長に就任(2011~2017)されるなど、輸血医療に貢献されています。
【主催・招聘】
| 2003年 | 第48回日本輸血・細胞治療学会中四国例会 |
| 2007年 | 第21回日本エイズ学会総会・学術集会 |
